河西祐史「ハイカーの話、トレイルの話」#06 アパラチアントレイルの「リッジランナー」

2010年、ATを歩いていたときの話。自分は「リッジランナー」に会った。

これは日本人としてはかなり貴重な体験と思われる。なぜならアメリカ人でもそれが何なのか、ほとんどが正確には知らないからだ。ハイカーなら知ってるかというと、結構みんな分かってない。「リッジランナーってのは、ATにのみ棲息する特殊な生き物で・・・」というのは、ハイカーの定番ジョークの一つでもあったりするのだが。名前だけは聞いたことがある、くらいが普通だと思う。

その時はとあるシェルターに一人きりで泊まったので、自分は屋内にハンモックを吊ったのだった。朝食後ゆっくりお茶を飲みながらグズグズしていたら、突然若い男が1人「ハーイ」と入ってきてシェルターをぐるっと回り、ゴソゴソとあたりをいじったりし始めた。そのうち彼は自分のところに来て、こりゃ初めてみた、面白いね!と話しかけてきた。まあね、オレは時々やるよ・・・と返して、一瞬止まってしまった。そのままハンモックの話をしても良かったのだが、好奇心が抑えられなかった。
「それで、キミは?」
「ああ、ボクはこのシェルターをチェックしに来たんだ。邪魔したならゴメンね」
「いや、そんなことは全然ないけど・・・キミは、もしかして『リッジランナー』?」
「そうだけど」
「そうか!いや、自分は日本から来たんだけど、トレイルのことにいろいろ興味があってね。すまないが、いくつか質問しても良いかな?」
彼は笑いながら「いいよ!なんでもどうぞ」と言ってくれて、しばらく床に座って質問攻めにさせてもらった。ちなみにリッジ(Ridge)というのは尾根・稜線のことで、山の尖って続く部分を意味する。

ATのシェルター。ハイカーたちは、日常的にこの小屋に寝泊りする

彼によるとリッジランナーの仕事は、トレイルやシェルターの現状をチェックするために「毎日歩き回る」こと。修繕作業は含まれていないという。所属は地元の「マウンテン・クラブ」だが、彼のギャラは元をたどればATC(アパラチアン・トレイル・コンサーヴァンシー。AT評議会)から出ているらしい。

アメリカらしく労働条件が決まっていて、月に20~22日山に入ることになっている。週に5日を4週でもいいのだが、まとめて働いてまとめて休んでも構わない。ちょうど先月、連続2週間の休みを取ったばかりだというから何をしたのかと尋ねたら、隣の州に前から行きたかった山があり、そこを彼女とハイクしてきたらしい。ビョーキだ。
それはともかく、トレイルの崩落や倒木、シェルターの現状についての彼の報告は地元のクラブに行き、そこから業者なりボランティアなりによる補修の計画が立てられる。彼自身は、誰(どの団体)がトレイルを直したりしているのかよく分からないそうだ。ATは1本のロングトレイルだが、ローカルトレイルの集合体でもある。ATCはよくアメリカ最大のハイカー組織と揶揄され、他団体に比べてはるかに潤沢な資金と人員を持つが、ローカルなトレイルの管理は現地の団体に任せているという(コレはATCの事務局で教えてもらった)。各団体を統括するのがATCの役割なのだが、場合によっては直轄型のトレイルメンテナンスなどもある。リッジランナーは担当のエリアが決まっているが、彼自身あんまり細かいことは気にせず、多少はみ出したりして歩き回っているという。所属のクラブ、隣のエリアを受け持つクラブ、ATCのどれが出てくるかは「考えたこともないね」だそうだ。
リッジランナーはAT独自のシステムらしく、多くのハイカーが「他所では聞いたことがない」と口を揃えていう。ここで当事者に確認したのだが、本人も正確なことは知らなかった。アメリカとはいえ、日常的に見回りが行われているロングトレイルがそれほどあるとは思えない。全米一の人気を誇るATならではだろう、と意見が一致した。
彼はまるでトレイルランニング用のような、小さくて細長いバックパックを背負っていた。見た目で30リットルくらいか。シェルターの場所と、そこまでかかる時間を完璧に把握しているので、テントは持っていない。夏場だったのでマットも寝袋も持たず、夜はスリーピングバックカバーだけをひっかぶって寝る。毎日1ポンド(約450g)ほどの食料を食べ、だいたい4~5日続けて山で過ごす。悪天候なら山には入らない。
当時のATはウルトラライターがほとんど見られず(1度ブームが来て過ぎたあとだった)、たまに現れると周りから珍獣扱いで質問されていたりした。だから彼は自分が半年間ATを歩いて見た中で、最も軽量な装備で山に入っていた人物だと思う。袖がちょっぴりしかない小さなTシャツ、腿の付け根ぎりぎりまでのクラシックな短パン、くるぶしが見えるほどショートな靴下(インビジブルとかノー・ショウなどと呼ばれる)にランニングシューズという、身につけるものも極限までそぎ落としたスタイルだった。

アパラチアントレイルの、倒木を処理した跡。撤去ではなく通路だけ確保されたものがしばしば。

ATのサインが刻まれていることもあり、遊び心が見られる

25歳だという彼に、最後にちょっと意地悪な質問をしてみた。

「将来とか、どう考えているの?」
すると彼は
「将来・・・?」
と、不思議そうに聞き返してきた。
「いや、なんて言うかさ。不安とかないの?ずうっとリッジランナーやるつもり?」
「不安って・・・特にないねえ。ボクはこの仕事、気に入ってるよ」
そう言うと彼は外の景色に目をやってシェルターの壁に背をもたせ、幸せそうにほほ笑みを浮かべた。
アウトドア大国のアメリカでは、多くの若者が「アウトドアを仕事にする」ことを夢見るという。彼はやや特殊な形ながら、その夢を実現してしまったのだ。彼は自分の現状に、心から満足しているようだった。
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