「山の恵みの映画たち2019」上映作品『マナスルに立つ』 63年前の日本の登山隊が聖なる山へ挑む!

写真:「マナスルに立つ」(協力:毎日映画社)

山形ドキュメンタリー映画祭のプレイベントとして、「やまがたの山語り 山の恵みの映画たち2019」が3月15日、16日、17日の3日間、山形で開催されます。そこで今回から5回にわたり、山形国際ドキュメンタリー映画祭プロジェクト・マネージャーの高橋卓也さんと私、LONG TRAIL HIKER 斉藤正史が上映される作品の中から5つの作品を選び紹介していきたいと思います。

第2回目は私、斉藤が「マナスルに立つ」をご紹介させていただきます。

発見されたばかりの聖なる山へ日本の登山隊が挑む 『マナスルに立つ』

1950年当時のネパール王国(現、ネパール連邦民主共和国)が長い間続続けていた鎖国を解きました。当時ヒマラヤ登頂は、中国側からの入山は許可が安定しないこともあり、ちょうど鎖国を解いたネパール側からのヒマラヤ登頂のに関するルートを探索していたイギリス人のヒルマンによって、マナスルは発見されたのでした。

マナスルは、ヒマラヤ山脈に属するネパールの山で、標高8,163mの世界で8番目の標高の山になります。マナスル発見からわずか2年後の1952年には、日本山岳会がマナスル遠征を決定し調査隊を派遣したのでした。翌1953年、三田幸夫隊長以下14名の第一次登山隊がはじめてマナスルに挑みました。しかし悪条件が重なり標高7,750m地点で敗退。くしくもこの1953年は、イギリス探検隊のメンバーでニュージーランド出身の登山家であるエドモンド・ヒラリーとネパール出身のシェルパであるテンジン・ノルゲイによって、世界で初めてエベレストの登頂が記録されたのでした。チベット問題に揺れる中国側からではなく、ネパール側からの登頂でした。そんな世界的な登頂をよそに、翌1954年、堀田弥一を隊長とする14名の第2次登山隊が編成され現地に赴いたのですが、マナスル山麓の町サマで住民による妨害を受けたのでした。

前年に日本の登山隊が聖なる山へ土足で踏み込んだことで、寺院が雪崩にまきこまれ3名の僧侶が亡くなり、そして原因不明の疫病で村民30名が命を落としたことが妨害の理由でした。迷信ともいえるこの状況に幾度も交渉を試みるも、村人たちの抵抗は強くやがて武器を持ち始め、このような状況で強行突破もできず第2次登山隊は引き返したのでした。そして十分な交渉を続け、1956年、第3次日本隊がマナスル初登頂をめざすところから物語は始まります。

60年前の登山隊の装備や食事など、貴重な資料映像にも注目!

今から63年前に撮影されたこの映像には、当時の登山隊の装備や食事といった貴重な資料も垣間見ることができます。のべ400名によるカトマンズからサマまでの編隊は圧巻です。各所に時代を背景とした出来事が映し出されているのも非常に興味深く、物語は若き日の森繁久彌さんの淡々としたナレーションと当時の表現で物語は進んでいきます。
また、この第3次登山隊で使用されたのが、現在でも多くのメーカーで使用しているビブラムソールであったり、ナイロン製のクライミングロープが使用されたり、道具に関しても多くのチャレンジがなされて時代でした。
世界に未踏峰の山々がまだあったころの情熱と、当時の息遣いが聞こえる映像は必見です。

 

「やまがたの山語り 山の恵みの映画たち2019」 のテーマ

山と人との関わりをテーマとした映画を集めて、山に囲まれた山形で観てみたい!そんな思いで始まった特集上映「山の恵みの映画たち」は、隔年で開かれている山形国際ドキュメンタリー映画祭のプレイベントとして2014年、2016年とこれまで2度開催し、好評を博してきました。その中で改めて感じたのは、山は川や海ともつながる自然の源のようなものであり、その循環の中には人々の暮らしや知恵や思いが濃厚に息づいているということ。今回の企画では、そうした川の視点、海の視点も盛り込み、広く自然と人間を描いた作品を選んでみました。

取材協力: 山形ドキュメンタリー映画祭プロジェクト・マネージャー 高橋 卓也

YIDFF 2019 プレ・イベント やまがたの山語り 山の恵みの映画たち 2019

 

文/斉藤正史


山形県上山市在住。ロングトレイルハイクの普及及び、NPO法人山形ロングトレイル理事としてロングトレイルを造る活動を続けている。2005年アパラチアントレイル以降、2013年までにアメリカ三大トレイルを踏破し、日本人2人目のトリプルクラウナーとなる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA