「山の恵みの映画たち2019」上映作品『タイマグラばあちゃん』 豊かな自然に生きるマサヨばあちゃんの物語

山形ドキュメンタリー映画祭のプレイベントとして、「やまがたの山語り 山の恵みの映画たち2019」が3月15日、16日、17日の3日間、山形で開催されます。そこで今回から5回にわたり、山形国際ドキュメンタリー映画祭プロジェクト・マネージャーの高橋卓也さんと私、LONG TRAIL HIKER 斉藤正史が上映される作品の中から5つの作品を選び紹介していきたいと思います。

第3回目は私、斉藤が「タイマグラばあちゃん」をご紹介させていただきます。

岩手県の開拓地「タイマグラ」 豊かな自然に生きるおばあちゃんの物語

岩手県のほぼ中央あたりに「タイマグラ」と呼ばれる小さな開拓地があります。(現、岩手県宮古市)戦後の国の開拓事業推進もあり出来た集落そうです。「タイマグラ」は、アイヌ語で森の奥へと続く道という意味を持つそ
うで、開拓の成功を夢見て名付けられたのではないだろうか?と想像してしまいます。当時、10軒あまりの農家が入植したそうですが、東京オリンピックを機に高度成長が続く中、次々と人々が集落を離れ、残ったのは向田(むかいだ)久米蔵・マサヨさんのご夫婦二人だけでした。

年号平成を目の前にした昭和63年、タイマグラにとって大きな出来事が2つ起こったのでした。1つは、集落に1件だけ残った向田さんに20年ぶりにお隣さんが出来たことと、年の瀬に日本で一番最後に電気が通ったことでした。物語は、そんな集落の大きな転換期から始まったのでした。先進国である日本国内で、昭和63年まで電気の通らない集落があり、電気のないまま平成に入る寸前まで生活していた人がいることに驚きを感じます。きっとそんな事実がこの映画を作るきっかけになったのではないでしょうか? 電気が通っても、土に生きる素朴な暮らしぶりにかわりません。自分が畑で育てた大豆を使っての豆腐作り、春一番の味噌作り、与えられた環境で育てる作物。そんな生活の中で、マサヨばあちゃんの歳月にはさまざまな出来事が起きてゆきます。長年つれそった久米蔵さんの死、お隣奥畑さんの結婚、そしてばあちゃんが産婆をして奥畑家に子供が生まれる。しかし、僕の目には久米蔵さんの死後、マサヨばあちゃんの変化が強く伝わりました。「楽しいこともなく月日が過ぎて、とうとう1人なったし・・」といって目頭を手拭いで吹きながら涙する姿はが非常に印象的でした。早池峰山麓に広がる大自然の中で、シンプルに生きていくマサヨばあちゃんの晩年の姿は、今の日本が無くした姿なのかもしれません。

マサヨばあちゃんが教えてくれたこと

2000年の春、マサヨばあちゃんは心臓の発作で山をおりました。病院に入院して以降、1度だけマサヨばあちゃんは娘さんに連れられ家に戻ったのでした。以降タイマグラに戻ることなく2003年の暮れに亡くなりました。しかし、
マサヨばあちゃんの生きた証は消えることはありません。タイマグラに住み続ける奥畑さんは、家族とともにばあちゃんが教えてくれた味噌作りを受け継いでいく。人間は本来このように文化をつないでいったのかもしれませんね。
たった数十年でこんなにも人の生きる方法が変わったのかと感じさせられます。どう生きるべきか?生き方の一つがここにあるのかもしれません。

 

取材協力: 山形ドキュメンタリー映画祭プロジェクト・マネージャー 高橋 卓也

YIDFF 2019 プレ・イベント やまがたの山語り 山の恵みの映画たち 2019

 

文/斉藤正史


山形県上山市在住。ロングトレイルハイクの普及及び、NPO法人山形ロングトレイル理事としてロングトレイルを造る活動を続けている。2005年アパラチアントレイル以降、2013年までにアメリカ三大トレイルを踏破し、日本人2人目のトリプルクラウナーとなる。

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